歴史

興行形態

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万歳人口が増えるにつれ、芸の修練を呼び、優秀な万歳師も生まれました。その一方で、演技の内容にも創意、工夫がみられるようになり、天保十年ごろ、歌舞伎の流行とともに、三曲(さんきょく)万歳が演じられ始め、明治二十年ごろに完成。これは鼓に、三味線と胡弓(小型の三味線)を加え、三つの音色があることからこう呼ばれます。この万歳は、歌舞伎や浄瑠璃などの演目を取り入れ、楽器の弾き手と芝居の演じ手に分かれて舞台上でにぎやかに演じるもので芝居万歳とも呼ばれます。演目には、「神霊矢口の渡し」「忠臣蔵」など五十以上あります。 三曲万歳によって、尾張万歳はその名を全国に広め、大正時代には、万歳の劇団も結成されるなど、全盛期を迎えました。こうして万歳も農閑期の出稼ぎとしてだけではなく、一方では興行化した職業としても成立するようになりました。


構造

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万歳の芸は、扇子を持って祝詞を唱える太夫(たゆう)と、鼓をたたいて合いの手を入れる才蔵(さいぞう)とで演じるもので、基本は二人一組。

二人の関係は、対等ではなく、太夫は芸に秀でた年上の者が務めます。才蔵は長年務めて芸を覚えてから太夫に出世しました。また太夫には、蝶太夫・長福太夫といった芸名も使われています。演目によっては、太夫一人を中心に、才蔵が左右に二人・四人に増えたり、楽器も三味線や胡弓(こきゅう)を加えて華やかな舞台芸になることもあります。

太夫

太夫

風折烏帽子(かざおりえぼし)と小素襖(こすおう)。
えぼしは烏(からす)のように色が黒く、袋の形をした帽子。頭上部が立っている立烏帽子に対し、風で折れた形のもの。

才蔵

才蔵

大黒ずきんと小袖。大黒ずきんは、七福神の大黒天がかぶっている丸く横に膨れた形のもの。
小袖は、上着が普通の和服と同じで、下はたっつけという袴の一つで、裾をひもでしばってあり、動きやすい。


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