万歳人口が増えるにつれ、
芸の修練をよび、優秀な万歳師も生まれました。その一方で、演技の内容にも創意、工夫がみられるようになり、
天保十年ごろ、歌舞伎の流行とともに、三曲万歳が演じられはじめ、明治二十年ごろに完成。
これは鼓に、三味線と胡弓をくわえ、三つの音色があることからこう呼ばれます。この万歳は、歌舞伎や浄瑠璃などの
演目を取り入れ、楽器の弾き手と芝居の演じ手にわかれて舞台上でにぎやかに
演じるもので芝居万歳とも呼ばれます。演目には、「神霊矢口の渡し」「忠臣蔵」など五十以上あります。
三曲万歳によって、尾張万歳はその名を全国にひろめ、大正時代には、万歳の劇団も
結成されるなど、全盛期をむかえました。こうして万歳も農閑期の出稼ぎとしてだけで
はなく、一方では興行化した職業としても成立するようになりました
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