夜汽車に乗って東西へ
東海道線の開通にともない、明治二十五年-六年には二、三百人の
は万歳師が出稼ぎのため、団体割引で列車に乗ったようです。
毎年、万歳師たちは、正月がちかづくと万歳の練習を
積み重ねます。才蔵にはまだ十二-三歳という子どもも駆り出されました。大みそかの晩には大府駅まで
歩き、夜汽車に乗って出発、東西へ旅立ちます。遠くは東が
仙台、西は京阪神から広島あたりまで。また北は、
岐阜から北陸へ、南は伊勢・和歌山などへ出掛けました。
当時は、関西方面へ行く万歳師は芸の優れた者が
多いといわれ、時には五人・七人と組み、三曲万歳もこなしたようです。